ガンバレ!ニッポン!36年前にあった「金メダルへのPR戦略」

こんにちは。
北京オリンピックまで、あと2ケ月を切りました。オリンピックというと、かつて日本のお家芸と言われ、メダルを独占したのが、「体操、柔道、バレーボール」です。


この中のひとつ、日本の男子バレーボールはこの16年間、五輪出場を逃してきました。
テレビでご覧になっていた方も多いと思いますが、先日、男子バレーボールアジア最終予選が東京体育館で行われました。(6月7日、日本×アルゼンチン)
この試合に勝つと、16年ぶりの五輪出場が決まります。
フルセット、ジュースにもつれ込み、最終セット20-18でとうとう日本がアルゼンチンを破り、16年ぶりの五輪出場が決ったのです。
五輪出場を決めた歓喜の瞬間は、テレビのニュース(テレビ放映局のTBS、フジテレビ以外の各局)はもちろん、新聞一般紙でも1面になるなど、メディアでも大きく取り上げられていました。
過去16年間、五輪出場を逃してきた日本男子バレーは、実力の低下とともに人気、競技人口も凋落。今や男子バレーボール部がない中学校も多く、「マイナースポーツ」になった感は否めません。
逆に、プロ化やJリーグのイメージ戦略を上手く図り、ワールドカップ出場で実力も伴ったサッカーに、人気はとって替わられたように思えます。
私が小学校高学年~大学生の頃は、72年ミュンヘン五輪金メダル、77年ワールドカップ銀メダルと、日本男子バレーは強いのが当然で、オリンピックに出るのは当たり前でした。強いだけでなく、王・長島のプロ野球に次ぐ人気スポーツであったと思います。
当時の男子バレーボールは、なぜ人気スポーツに成り得たのでしょうか。
人気スポーツになった理由…
それは選手が強かった、、、だけではありません。
人気スポーツになった背景には、当時の全日本監督松平康隆氏(現日本バレーボール協会名誉会長)のミュンヘン五輪金メダルに向けた周到なPR戦略がありました。その内容とは、
①少女雑誌への選手の露出
若い女性ファン層の獲得、「ミーハー」という批判もあったが、松平氏はファンを大事にし、日本チームの練習を見学出来る様にした
②アニメ『ミュンヘンへの道』テレビ放映
金メダルに向けた選手の日々の奮闘や努力を、アニメを通じて伝える
③著書『負けてたまるか!』を出版
松平氏の考え方、選手ひとりひとりのエピソードをPR
④選手にキャッチコピーをつけた
例えば、セッター猫田選手は「世界一のセッター」、など
この結果、若い女性を中心に大きなファン層が形成され、試合はいつも超満員。「ニッポン、チャチャチャ!」の応援もこの頃できました。
ミュンヘン五輪で日本が金メダルを獲ったのは、今から36年前のこと。最近のバレーボールの試合では、有名タレントを使ったアトラクションや応援といった会場演出・テレビ放映により、少しずつ人気は回復しつつありますが、当時とやっていることは基本的に変わらないのです。
現在、女子バレーボールのセッター竹下選手が「世界最小・最強セッター」と紹介され、うまい表現を考えたと感心しますが、その手法はすでに36年前にもあったのです。
松平氏の著書『負けてたまるか!』にこう書いてあります。
「人間には自己顕示欲というものがある。人から見られていると思うと一生懸命練習する、手抜き出来ない」
選手のモチベーションアップのためにも、PR戦略を必要としたのです。
また、PR戦略により、競技人口が増え底辺層が広がると、レベルアップにつながり強化策になります。イタリアが1990年以降、3回世界一になりましたが、この背景にはアニメ『アタックNo.1』が現地で放映され大人気番組となったことで、競技人口が広がったことにあるのです。
※イタリアでは『ミミとバレーボールの仲間たち』というタイトルで放映。
36年前にPR戦略という言葉があったのかどうか、定かではありません。しかし、このPR戦略が、金メダル獲得の一助になったことは間違いないのではないでしょうか。
植田辰哉監督は、6月7日のインタビューでこう答えました。
「はっきり言いますが、メダル狙います!」
この発言も、ある種のPR戦略でしょう。
36年ぶりのメダルへ向けて、ガンバレ!!日本!!
【参考文献】
・読売新聞2008年5月2日記事「イタリア、アタックNo.1に導かれ」
・文藝春秋社Number 1981年11月「バレーボール特集」
・松平康隆著「負けてたまるか!」
・web「ウィキペディア」

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください