なんでもかんでも「エモい」「ヤバい」でまとめられる現代…でも平安時代の言葉もヤバかった!

PRや広報、マーケティングに携わる人間にとって、言葉は商売道具です。
同じ商品を伝えるにしても、「便利」と言うのか「手間が省ける」と言うのか。「革新的」と言うのか「これまでの常識を覆す」と言うのか。それだけで、受け手が抱く印象は大きく変わります。

「すごい」「素晴らしい」「画期的」「斬新」「ユニーク」。一見似たこれらの言葉にも、それぞれ微妙な差があります。その差を理解し、相手や媒体、場面に応じて最適な一語を選ぶ。それもPRの重要な技術のひとつでしょう。

ところが、私たちが日常的に使っている日本語に目を向けると、少し不思議な現象が起きています。

「感動した」も「懐かしい」も「切ない」も、全部「エモい」

たとえば「エモい」。

夕暮れの海を見て、エモい。学生時代に聴いた曲を久しぶりに聴いて、エモい。昔の写真を見返して、エモい。映画のラストシーンに、エモい。

本来なら「美しい」「懐かしい」「切ない」「感慨深い」「郷愁を誘う」など、別々の言葉で表現できる感情です。しかし「エモい」という便利な一語は、それらをまるごと包み込んでしまいます。

さらに守備範囲が広いのが「ヤバい」です。

「この料理、ヤバい」なら、おいしい。「この暑さ、ヤバい」なら、暑すぎる。「このギタリスト、ヤバい」なら、とてつもなく上手い。「財布なくした、ヤバい」なら、本当に危機的状況。ポジティブもネガティブも関係なく、程度が尋常でなければ、とりあえず「ヤバい」。

これは感覚的な話ではなく、データにも表れています。文化庁の「国語に関する世論調査」(平成26年度/2015年発表)によれば、「やばい」を「とても素晴らしい」という意味で使う人は全体の26.9%。10代に限れば約9割にのぼりました。「エモい」も、三省堂「今年の新語2016」で第2位に選ばれ、一気に一般語化しています。

「最近の日本語は、なんでも『エモい』『ヤバい』で済ませてしまう」と嘆きたくなる人もいるかもしれません。
しかし日本語の歴史を振り返ると、意外な事実に気づきます。一語でいろいろな感情を引き受ける言葉は、最近の発明ではありません。

平安時代の日本語にも、まったく同じ性質の言葉がありました。

平安の「エモい」——「あはれ」

その代表格が「あはれ」です。

現代人が「あはれ」と聞けば、「かわいそう」「哀れだ」というネガティブな意味を思い浮かべるでしょう。しかしそれは、後の時代に意味が狭まった結果です。古語の「あはれ」がカバーしていた領域は、はるかに広いものでした。

文脈によって、「しみじみと心を動かされる」「愛しい」「かわいい」「美しい」「趣深い」「悲しい」「切ない」「気の毒だ」——さまざまなニュアンスを表します。

もともとは「あゝ」「はれ」という感嘆の声が結びついた語とされ、要するに「心が動いた」という事実そのものを指す言葉でした。江戸時代の国学者・本居宣長が『源氏物語玉の小櫛』などで文学理念として掘り下げた「もののあはれ」も、この心の動きを中核に据えています。

秋の夕暮れを眺めて、あはれ。愛する人を思って、あはれ。幼い子どもの姿を見て、あはれ。昔を思い出して、あはれ。悲しい別れに、あはれ。

もちろん「あはれ」と「エモい」は同じ言葉ではありません。しかし、対象を客観的に説明するのではなく、「それによって自分の心が動かされた」という主観を広く受け止める点では、興味深い共通点があります。

平安の「ヤバい」——「いみじ」

さらに面白いのが「いみじ」です。

「いみじ」は程度が甚だしいことを表し、文脈によって意味が大きく変わります。素晴らしいものを見ても、いみじ。恐ろしい出来事でも、いみじ。ひどい状況でも、いみじ。非常に悲しいときにも、いみじ。

「この人、いみじ」なら、めちゃくちゃすごい。「いみじき目に遭った」なら、とんでもなくひどい目に遭った。

なぜ良い方にも悪い方にも振れるのか。語源をたどると腑に落ちます。「いみじ」は動詞「忌む」に由来するとされ、もとの意味は「忌み憚るほど、程度が尋常でない」。つまり方向ではなく振れ幅を指す言葉なので、良し悪しは文脈が決めるしかないのです。

これは「ヤバい」とまったく同じ構造です。ちなみに「ヤバい」の語源も江戸時代の「やば」(矢場説・厄場説があり、いずれも「役人に見つかると都合が悪い」状況を指す隠語)とされ、肯定的な用法が広がったのは1980〜90年代以降。こちらも「危険」から「程度が尋常でない」へと意味が広がった言葉です。

現代人が「昨日のライブ、マジでヤバかった」と言ったとき、それだけでは演奏が素晴らしかったのか、観客が多かったのか、予想外の事態が起きたのか分かりません。それでも、その場を共有している人同士なら伝わります。「いみじ」も、文脈が具体的な意味を補う言葉でした。

「をかし」は「おもしろい」だけではなかった

もうひとつ、古典の授業でおなじみの「をかし」。

現代の「おかしい」から「笑える」を想像しがちですが、平安時代の「をかし」はもっと守備範囲の広い言葉でした。「趣がある」「美しい」「かわいらしい」「興味深い」「気の利いている」など、対象に明るい興趣や魅力を感じたときに使われます。

ちなみに「『枕草子』は”をかし”の文学、『源氏物語』は”あはれ”の文学」という有名な対比は、近代以降の文学史記述のなかで定着した整理です。実際には『枕草子』にも「あはれ」は数多く使われており、きれいに二分できるわけではありません。授業で習った図式を引用するときは、ひとこと留保をつけておくと安全です。

ここまで来ると、平安人の会話を現代語に超訳したくなります。

●「あはれ」——エモい
●「いみじ」——ヤバい
●「をかし」——おもろい、いい感じ

もちろん学術的な一対一対応ではなく、感覚をつかむための比喩です。

結論は「昔の人のほうが語彙が豊かだった」ではない

ここで慌てて結論を出さないでおきます。

「あはれ」も「いみじ」も「をかし」も、たしかに一語で広い領域をカバーしていました。だからといって「昔の日本人は語彙が乏しかった」とも「現代人は語彙力が低下した」とも言えません。

同じ平安時代の和歌の世界には、季節や情景を表す極めて精緻な語彙体系がありました。つまりどの時代の日本語にも、ざっくり包み込む「包括語」と、細かく切り分ける「精密語」が共存していたのです。

面白いのは、時代を問わず人間が、複雑な感情や評価を便利な一語に託してきたこと。そして——ここが重要ですが——それが機能するのは、話し手と聞き手が文脈を共有しているときだけだということです。

「伝わったつもり」は、実験で測られている

心理学に「知識の呪い」と呼ばれる有名な認知バイアスがあります。

1990年、スタンフォード大学の大学院生エリザベス・ニュートンが行った実験が知られています。参加者を「叩く人」と「聴く人」に分け、叩く人は誰もが知っている曲のリズムを机で叩き、聴く人が曲名を当てる。叩く人は「半分くらいは当ててもらえるだろう」と予想しました。

実際の正答率は2.5%(120曲中3曲)でした。

叩いている本人の頭の中には、メロディも歌詞も鳴り響いています。しかし聴く人に届いているのは、無機質な打音の連続だけ。自分に見えている文脈が、相手にも見えていると錯覚してしまうのです。

プレスリリースで起きていることも、これとまったく同じです。

「画期的な新サービスです」と書いたとき、書き手の頭の中には「従来比で作業時間が半分になる」という具体像があるかもしれません。しかし読み手に届いているのは「画期的」という抽象語だけ。これが、伝わらない文章を生みます。

PRパーソンが警戒すべき「仕事版のヤバい」

実務の文章には、「ヤバい」に負けず劣らず意味の広い言葉があふれています。

革新的/画期的/高品質/独自/注目/話題/成長/課題/価値/ソリューション/最適化/DX/寄り添う

これらは悪い言葉ではありません。むしろ便利だからこそ危険です。「革新的です」と書けば、なんとなく革新的に見える。「独自の技術です」と書けば、なんとなく差別化されて見える。

そこで思考を止めないために、抽象語を見つけたら3つの問いで解体することをおすすめします。

1.何と比べて?(比較対象)
2.どれくらい?(数値・固有名詞・期間)
3.誰にとって?(受益者と、その人が得る変化)

実例で見てみます。

Before After
画期的な新サービスを提供開始 月次の請求業務を、平均4時間から45分に短縮するサービスを提供開始(導入12社の平均/自社調べ)
独自の技術により高品質を実現 国内で唯一◯◯方式を採用し、従来品で課題だった△△の発生率を5分の1に抑制
注目を集めています 発売2週間で初回生産分5,000個が完売、現在は約3か月待ち

Afterの文には、書き手の評価がひとつも入っていません。それでも——いや、だからこそ——「すごさ」が伝わります。

評価は「コメント」へ、本文は「事実」へ

もうひとつ、すぐ使える実務の原則があります。

主観的な評価語は、リリース本文ではなく担当者・代表者のコメント欄に置く。 本文は事実だけで構成する。

記者は、企業が自称する「革新的」をそのまま記事にはできません。しかし「代表の◯◯はこう述べています」という引用であれば、事実として扱えます。評価語を捨てる必要はなく、置き場所を変えるだけで、リリース全体の信頼性が上がります。

トレーニング:一週間、「エモい」を禁止してみる

文章の解像度を上げる練習として、日常でこんなことができます。
夕暮れを見て「エモい」と感じたら、その語を使わずに言い換えてみる。懐かしいのか。切ないのか。美しいのか。寂しいのか。昔の記憶がよみがえったのか。二度と戻れない時間を感じたのか。
すると、「エモい」の奥に隠れていた感情の輪郭が見えてきます。

仕事でも同じです。「すごい企業」「画期的な商品」「独自の技術」「注目を集めている」——これらを一時的に禁止語にすると、「何がすごいのか」「どの数字が突出しているのか」「従来品と何が違うのか」「なぜ今この会社を取材する必要があるのか」という問いが自動的に立ち上がります。

語彙を増やすとは、難しい言葉をたくさん覚えることではありません。世界を細かく切り分けるための解像度を上げることです。

ただし、抽象語を全否定してはいけない

ここで注意点をひとつ。

「抽象語は悪」と単純化すると、今度は数字ばかりで体温のない文章ができあがります。「あはれ」が千年前に機能したのは、その社会に共有された分厚い文脈があったからでした。抽象語は、文脈が共有されている場では最強の圧縮装置なのです。
だから、読み手との文脈の共有度でレイヤーを分けて考えるのが実践的です。

● 社内・チーム内:抽象語で構わない。むしろ共通言語として機能する

● 既存顧客・コミュニティ:文脈をある程度共有しているので、抽象語+具体例

● 記者・メディア・初見の生活者:文脈はゼロ。抽象語は事実に翻訳しきる

PRが難しいのは、私たちが情報を届ける相手が、たいてい三つ目のレイヤーにいるからです。
そして順序も重要です。優れたコピーは、いきなり一語で勝負しているわけではありません。具体で文脈を作ったうえで、最後に一語を置く。 「あはれ」が和歌という膨大な文脈装置の上で機能したのと同じ構造です。

千年前の日本語は、案外いい教材だ

「すごい」で終わらせず、何がすごいのかを書く。 「エモい」で終わらせず、なぜ心が動いたのかを書く。 「革新的」で終わらせず、何をどう変えたのかを書く。
良いPRとは、企業の中では「なんとなく分かっていること」に、最も適切な言葉を与える仕事なのかもしれません。

千年前の人々が「あはれ」「いみじ」「をかし」に託した心の動きを読み解くように、私たちPRパーソンも、企業や商品の奥にある「まだ言葉になっていない価値」を読み解いていく。そしてそれを、「なんとなくすごい」ではなく、誰かの心に届く一言へと翻訳する。

言葉を扱う仕事をしている私たちにとって、千年前の日本語は、案外「いみじうをかし」な教材なのです。


参考
・文化庁「国語に関する世論調査」平成26年度(2015年9月公表)
・三省堂「今年の新語 2016」
・Newton, L.(1990)Overconfidence in the Communication of Intent: Heard and Unheard Melodies(スタンフォード大学博士論文)
・本居宣長『源氏物語玉の小櫛』
・各古語の語釈は『日本国語大辞典』『岩波古語辞典』等の記述に基づく

株式会社コミュニケーションデザイン PRコンサルタント

【ニックネーム】らめにき
【これまで担当した業界】コンサルタント・健康・教育・DX・企業PR
【趣味】音楽鑑賞・野球観戦・バンド・ライブハウス・数学・ラーメン・カラオケ
【プチ自慢】「イントロドン」で半分以上0.5秒以内に正答できること

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