「クマでくまった!」
ここ数年、クマ被害の報道が相次ぐ中で、SNSや見出し、口コミ的に使われるようになった言葉です。被害の深刻さとは裏腹に、言葉だけが軽やかに流通していく。その違和感こそが、実は本稿の出発点でもあります。
数年前なら、テレビのワイドショーで軽く消費されていたダジャレが、いまは笑えない現実になりました。
北海道や東北だけでなく、関東、北陸、さらには都市近郊の住宅街にまで出没するクマ。「今年の漢字は“熊”でもおかしくない」と感じてしまうほど、私たちは連日のようにクマのニュースに触れています。
しかし、ここで一度立ち止まる必要があります。
本当に日本は、急激に「クマの天国」になったのでしょうか?それとも私たちは、「クマが『見えすぎる社会』に生きているのでしょうか。
本稿では、クマ問題を環境論としてではなく、「情報がどのように増幅され、人々の感情が設計されているか」という報道・広報視点から読み解いていきます。
この記事の目次
なぜクマのニュースは「こんなに多く感じる」のか
結論から言えば、クマの出没件数以上に、「クマの映像」が爆発的に増えたことが最大の要因ではないでしょうか。
スマートフォン、ドライブレコーダー、防犯カメラ、監視カメラ。日本は今や、世界でも稀な「全方位撮影国家」です。かつてクマは、足跡、爪痕、食い荒らされた畑といった「痕跡」で語られる存在でした。
しかし今は違います。走るクマ、振り向くクマ、住宅街を歩くクマ、人と至近距離で対峙するクマ。こうした「物語性のある映像」が、無料で大量に供給される時代になりました。メディアにとって、これほど扱いやすい素材はありません。視聴率が取れ、SNSで拡散され、解説者コメントを乗せやすく、「怖い」「かわいそう」「許せない」という感情を生む。
今や、クマは、メディアにおける「最強の感情コンテンツ」の一つになっているのかもしれません。
クマが怖いのか、「クマのニュース」が怖いのか
私たちは本当にクマを恐れているのでしょうか?
それとも「クマのニュースが作り出す空気」を恐れているのでしょうか?
連日の報道は、事実を伝える一方で、無意識のうちに次のような印象を刷り込みます。
『日本中どこにでもクマが出るかもしれない』
『明日は自分の街にも現れるかもしれない』
『いつ襲われてもおかしくない』
これは、リスクの可視化であると同時に、リスクの過剰一般化でもあります。
マスメディア研究や公共政策学、そして広報・報道の世界では、これをアジェンダ・セッティング(何を重要だと感じさせるか)と呼びます。
クマ問題は、「危険だから報じられる」のではなく、「報じやすく、感情を動かすから増殖する」側面を持っているのです。
本当の問題は「クマ」ではなく「境界線の消失」
もちろん、これは「クマは問題ではない」と言いたいわけではありません。本質的な問題は、人間と野生動物の間にあった「境界線」が消えたことです。
これまでの日本では、奥山(野生)、里山(緩衝地帯)、人里(人間)という三層構造がありました。しかし少子高齢化、過疎、離農によって里山の管理は緩くなり、人とクマのあいだにあった「グレーゾーン」は消滅しつつあります。
クマから見れば、人間の生活圏は「侵入禁止エリア」ではなく、高カロリーな餌が安定供給される効率のいい場所になってしまった。
これは、自然災害ではなく、人口減少社会が生んだ構造的リスクといえるでしょう。
「駆除か共存か」という不毛な対立の正体
クマ問題がさらに複雑になる理由は、必ず「駆除するな」対「人命優先だ」という対立構造が生まれる点にあります。
この分断は、単なる価値観の違いではなく、情報の非対称性によって生まれています。現場で恐怖を感じる住民、映像だけを見る都市部、感情的なSNSコメント、断片的に切り取られる報道。
ここには、明らかなリスク・コミュニケーションの欠如があります。
報道・広報の役割は、「どちらが正しいか」を裁くことではないはずです。なぜその判断に至ったのか、他にどんな選択肢があったのか、共存のために人間側が変えるべき行動は何か。こうした背景と文脈を翻訳することこそが、求められている役割ではないでしょうか。
クマ問題は、あらゆる企業・自治体の「予告編」
クマのニュースは、地方自治体だけの話ではありません。工場、観光施設、物流拠点、再エネ施設。「人の管理が弱まった場所」には、必ず同じ構図が生まれます。そしてその瞬間、企業や自治体は問われます。
『説明責任を果たせるか』
『感情的な炎上に耐えられるか』
『事実と判断を切り分けて伝えられるか』
クマ問題は、これから頻発する社会リスクの「予告編」なのかもしれません。
クマ天国ではなく、「情報設計の試練の国」
日本はクマ天国になったわけではありません。日本は、情報拡散の面から不安が可視化され、拡散され、消費されやすい国になっています。必要なのは「過剰に怖がらないこと」。そして同時に、「正しく恐れるための情報設計と情報リテラシー」です。
クマのニュースは、報道・広報関係者にこう問いかけています。あなたは、不安を煽る側か。それとも、不安を翻訳する側か。
「クマでくまった」社会で本当に必要なのは、クマよりも、人と情報の「共存設計」なのかもしれません。
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【解明】クマの話は、日本の構造問題だった|小池伸介
■参考記事|東洋経済オンライン
クマの出没ルートをAI活用で特定!「猟友会頼み」な”従来型パトロール”の限界をどう超えるか|小幡 祐己:株式会社アシストユウ代表取締役社長
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